「処分」と単純承認に関する裁判例
法定単純承認事由である「相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき」(民法第921条1号)に該当するか否かに関する裁判例を整理しました。
最高裁昭和37年6月21日判決・家庭裁判月報14巻10号100頁
相続開始後、相続放棄の申述及びその受理前に、相続人が被相続人の有していた債権を取立てて、これを収受領得する行為は、民法第921条第1号本文の相続財産の一部を処分した場合に該当するとされました。
東京高裁昭和37年7月19日判決・東京高等裁判所判決時報民事13巻7号117頁
相手方がその元使用人に与えたのは既に交換価値を失う程度に着古したボロの上着とズポン各一着であり、同古着は使用に堪えないものではないにしても、もはや交換価値はないものというべきであり、その経済的価値は皆無といえないにしても、いわゆる一般的経済価格あるものの処分とはいえないから、かようなものの処分をもってはいまだ単純承認とみなされないとされました。
山口地裁徳山支部昭和40年5月13日判決・判例タイムズ204号191頁
形見分けを受けることは民法第921条1号の相続財産の処分に当らないとされました。
最高裁昭和41年12月22日判決・家庭裁判月報19巻4号53頁
被相続人の死亡を知った後に相続人がなした相続財産である道具類の無償貸与行為は民法9211号の財産処分行為にはあたらないとされました。
最高裁昭和42年4月27日判決・民集21巻3号741頁
「民法921条1号本文が相続財産の処分行為があつた事実をもって当然に相続の単純承認があったものとみなしている主たる理由は、本来、かかる行為は相続人が単純承認をしない限りしてはならないところであるから、これにより黙示の単純承認があるものと推認しうるのみならず、第三者から見ても単純承認があったと信ずるのが当然であると認められることにある(大正9年12月17日大審院判決、民録26輯2034頁参照)。したがって、たとえ相続人が相続財産を処分したとしても、いまだ相続開始の事実を知らなかったときは、相続人に単純承認の意思があったものと認めるに由ないから、右の規定により単純承認を擬制することは許されないわけであって、この規定が適用されるためには、相続人が自己のために相続が開始した事実を知りながら相続財産を処分したか、または、少なくとも相続人が被相続人の死亡した事実を確実に予想しながらあえてその処分をしたことを要するものと解しなければならない。」
松山簡裁昭和52年4月25日判決・判例時報878号95頁
民法921条1号の処分とは、一般的抽象的には「一般経済価額」あるものの処分をさすと解すべきであるが、この理の具体的適用では、相続財産の総額と処分されたものの品名・額とを比較考量して衡平ないし信義則の見地から相続人に放棄の意思なしと認めるに足る如き処分行為に当る場合をさすと解すべきであるとし、昭和50年、和服15枚、洋服8着、ハンドバッグ4点、指輪2個を引渡した行為は相続財産の一部の処分に当るとしました。
大阪高裁昭和54年3月22日決定・判例タイムズ380号72頁
行方不明であつた被相続人が遠隔地で死去したことを所轄警察署から通知され、取り急ぎ同署に赴いた妻、子が、被相続人の着衣、身回り品の引取を求められ、やむなく殆んど経済的価値のない財布などの雑品を引取り、なおその際被相続人の所持金2万0432円の引渡を受けたけれども、このような些少の金品が相続財産(積極財産)とは社会通念上認めることができないとされました。
東京高裁平成元年3月27日判決・判例タイムズ709号230頁
相続人が被相続人の建物賃借権を相続取得する意思で、賃貸人に対して、賃借権が相続人に帰属することの確認を求めて訴訟を提起・追行することは、民法921条1号にいう「処分」に当たるとされました。
大阪高裁平成10年2月9日決定・判例タイムズ985号257頁
申述人らは、他の共同相続人との間で本件遺産分割協議をしており、同協議は、申述人らが相続財産につき相続分を有していることを認識し、これを前提に、相続財産にして有する相続分を処分したもので、相続財産の処分行為と評価することができ、法廷単純承認理由に該当するというべきであるが、申述人らが多額の相続債務の存在を認識しておれば、当初から相続放棄の手続を採っていたものと考えられ、申述人らが相続放棄の手続を採らなかったのは、相続債務の不存在を誤信していたためであり、被相続人と申述人らの生活状況、他の共同相続人との協議内容の如何によっては、遺産分割協議が要素の錯誤により無効となり、ひいては法定単純承認の効果も発生しないと見る余地があるとし、相続放棄申述を不受理とした原審判を取り消し、差し戻しました。
東京地裁平成10年4月24日判決・判例タイムズ987号233頁
①被相続人が経営していた会社の株主総会等において、相続人が、被相続人の有していた株主権を行使して取締役を選任すること、②相続人が、被相続人が賃貸していたマンションの転貸料の振込先を賃借人から相続人名義に変更すること、が民法921条1号所定の「相続財産の処分」に該当するとされました。
福岡高裁宮崎支部平成10年12月22日決定・家庭裁判月報51巻5号49頁
法定単純承認につき次のように述べて、相続放棄申述を不受理とした原審判を取り消し、差し戻しました。
- 被保険者死亡の場合はその法定相続人に支払う旨の約款により支払われる死亡保険金は、特段の事情のない限り、被保険者死亡時におけるその相続人であるべき者の固有財産であるから、申述人らによる同保険金の請求及び受領は、相続財産の一部の処分にあたらない。
- 申述人らの固有財産である死亡保険金をもって行った被相続人の相続債務の一部弁済行為は、相続財産の一部の処分にあたらない。
- 被相続人の猟銃事故共済について自損事故共済金の支払を受けられるか否かの回答を得る目的で申述人らが試みた共済金請求は、民法915条2項の財産の調査にすぎず、相続財産の一部の処分にあたらない。
東京地裁平成12年3月21日判決・判例タイムズ1054号255頁
次のように述べて、相続人Yは単純承認したとし、債権者Xの相続人Yに対する売買代金請求を認容しました。
民法921条3号の立法趣旨
「相続人が限定承認をした場合、相続人は相続財産を限度として被相続人の債務の弁済等を行うのであるから(民法922条)、相続財産の範囲を明確にし、被相続人の債権者や受遺者に対する清算を誠実に実行しなければならない。相続人が相続放棄をした場合、相続人は、その放棄によって相続人となる者のために相続財産を管理しなければならない(同法940条)。しかるに、相続人が限定承認又は相続放棄をする一方で、相続財産の隠匿等の行為をした場合には、被相続人の債権者等の利害関係人が相続財産を把握できない等の不利益を被ることになってしまう。そこで、民法921条3号は、右のような相続人による被相続人の債権者等に対する背信的行為に関する民法上の一種の制裁として、相続人に単純承認の効果を発生させることとしたものである。
したがって、同条3号の規定する相続財産の「隠匿」とは、相続人が被相続人の債権者等にとって相続財産の全部又は一部について、その所在を不明にする行為をいうと解されるところ、相続人間で故人を偲ぶよすがとなる遺品を分配するいわゆる形見分けは含まれないものと解すべきである。また、同号に該当するためには、その行為の結果、被相続人の債権者等の利害関係人に損害を与えるおそれがあることを認識している必要があるが、必ずしも、被相続人の特定の債権者の債権回収を困難にするような意図、目的までも有している必要はないというべきである。」
本件遺品持ち帰りの評価
「⑴ 前記認定事実によれば、Yが2度にわたって持ち帰った遺品の中には、新品同様の洋服や3着の毛皮が合まれており、右洋服は相当な量であったのであるから、洋服等は新品同様であっても古着としての交換価値しかないことを考慮してもなお、持ち帰った遺品は、一定の財産的価値を有していたと認めることができる。そして、Yは、Aの遺品のほとんどすべてを持ち帰っているのであるから、Aの債権者等に対し相続財産の所在を不明にしているもの、すなわち相続財産の隠匿に当たるというほかなく、その持ち帰りの遺品の範囲と量からすると、客観的にみて、いわゆる形見分けを超えるものといわざるを得ないのである。
なお、1で述べたとおり、民法921条3号に該当するか否かの判断に際しては、その行為の結果、相続財産の所在を把握できなくなる等、被相続人の債権者等に損害を与えるおそれがあるか否かという点が重要であるから、Yが遺品を持ち帰ることをBの遺族が了解しているからといって、Yの遺品持ち帰り行為が同号に当たらないということにはならないというべきである。
Yは、Aに少なくとも200万円の負債があることを知りながら、2度にわたり、一定の財産的価値を有するAの遺品のほとんどすべてを持ち帰っているのであるから、右持ち帰り行為が、客観的にみるとAの債権者等に損害を与えるおそれがあることについての認識は有していたことが推認される。そうすると、Yによる遺品持ち帰りが、自分がAの相続財産を引き取らない限り、すべて廃棄されてしまうことになって忍びないというYの母親としての心情によったものであり、YがAの特定の債権者の債権回収を困難にするような意図、目的を有していなかったとしても、民法921条3号の主観的要件は満たしているというべきである。
したがって、Yの遺品持ち帰り行為は、民法921条3号の相続財産の隠匿に該当するものと評価するほかないから、Yは単純承認したものとみなさざるを得ない。」
東京高裁平成12年12月7日決定・判例タイムズ1051号302頁
「Xは、後に、相続財産の一部の物件について遺産分割協議書を作成しているが、これは、本件遺言において当然にAへ相続させることとすべき不動産の表示が脱落していたため、本件遺言の趣旨に沿ってこれをAに相続させるためにしたものであり、Xにおいて自らが相続し得ることを前提に、Aに相続させる趣旨で遺産分割協議書の作成をしたものではないと認められるから、これをもって単純承認をしたものとみなすことは相当でない。」とし、相続放棄申述を不受理とした原審判を取り消し、差し戻しました。
大阪高裁平成14年7月3日決定・家庭裁判月報55巻1号82頁
被相続人の死後被相続人名義の預金を解約し墓石購入費に充てた行為が民法921条1号の「相続財産の処分」に当たるとして相続放棄の申述を却下した審判に対する抗告事件において、預貯金等の被相続人の財産が残された場合で、相続債務があることが分からないまま、遺族がこれを利用して仏壇や墓石を購入することは自然な行動であり、また、本件において購入した仏壇および墓石が社会的にみて不相当に高額のものとも断定できないうえ、それらの購入費用の不足分を遺族が自己負担としていることなどからすると、「相続財産の処分」に当たるとは断定できないとして、原審判を取り消し、申述を受理しました。